うたかたの日々

祭りの後
参院選は、予想以上の自民、正しくは自公連立与党が惨敗したが、なんだか筋書き通りのよう。
地方の一人区であれほど負けるのは、変化を望んでいるからなのか。
どうせダメなら、いわゆる政治の玄人よりも、まだ政治の素人や若い人にいっぺんやらせてみよう。
そういうことなのかな。いつになく投票所が混んでたし。

WIRED VISIONで連載がはじまった小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」。
第1回 気分はもう戦争・そのIが、
期待できそう。
例の「赤木智弘「丸山眞男をひっぱたきたい」」の根底にあるものを検証する、つーか、
いかに赤木が納得できるマトはずれでない答を出すのか、楽しみ。

一昨日、夏祭りに子どもが浴衣で出かけた。
友だちも浴衣だったそうだ。
同じ学校のカワイコチャングループがいて、
そのコたちに声をかけてきた男子(中高生、ただし、くわえタバコ、いきがって)。
シカトされて、すぐそばの子どもが所属しているグループに
声をかけてきたそうだ。マネッコしてシカト。
「ナンパだよ、チョーキモイ、ウゼ、キモス、死ね」とか後でいっていた。
で、ぼくに「パッパ(ウソ)、ナンパしたことある?」と質問。
東北系イタリア人(ウソ)のぼくとしては、
「お茉莉(ウソ)、そりゃ、あるさ。海とか、ディスコとか、スキー場とか(ウソ)」と。

録画しといた『時をかける少女』をやっと見る。
ぼくは十分に中高年者であるゆえ、見終わってから、
ウツにも、死にたくもならなかったけど、
タイムリープを自分の身の回りにだけしか使わなくてよかったなと。
それと貞本義行の描くキャラはいつもかわいいなとも。
大林監督の映画版よりも大昔NHKで見た『タイム・トラベラー』となんか似ている。
青春は劣化しない?
涼宮ハルヒあたりなら、タイムリープで世界征服をマジで企むだろうって、
余計なことをつい考えた。

タイム・トラベラー 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-30 14:24:37

アイス
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どうもシャキッとしない。で、だらだら、してる。勝手に夏休みモード。
安売りしていた100円アイスをもっと大量購入すればよかった。

『「少女の社会史」』今田絵里香著の読書メモ。

○「第一次世界大戦後、都市を中心にして新中間層といわれる階層が増加し、
「家庭(ホーム)」を実際に実践していった」
おそらく地方出身者、都会出身者でも、長男(跡継ぎ)ではない者が、
勤め人になって所帯を持ち、子どもが生まれ、東京近郊の新興住宅地に居を構えた。
芸術などにも造詣が深く、子どもの教育にも関心が高く、
その中で少女という「ジェンダー・アイデンティティ」が萌芽していった。

○少女という概念を流布したものが「少女雑誌」である。
この(当時の)ニューメディアは、修身チックな良妻賢母の金型に
当てはめようとしていた。

○しかし、「少年雑誌」が一貫して、学業と運動の両立並びに立身出世を
アジテーションしているのに対して、「少女雑誌」は多様化していく。

○その象徴が「『少女の友』の読者たちの圧倒的な支持を得た」
中原淳一の挿画だったと。

「(淳一の描く)少女は自分を見つめる者にこびを売らず、それどころか
関心すら示さない存在として描かれているのである」

○まもなく、軍国少女、銃後の守り、産む機械予備軍として
少女の金型は変更し、修正を余儀なくされる。
で、淳一の挿画も「「不健康」とみなされ追放される」。
ヒトラーユーゲントを思わせる表紙へ。

○当時の「少女雑誌」の投稿欄が、いまでいうSNSのような役割を
果たしていたことは面白い。
ここは居場所のない文学少女たちのたまり場、息抜きだったが、
同様に反社会的とみなされ、追われてしまう。

○吉屋信子のガールズラブ系小説が「少女小説の起源」とされているが、
それに続くのが川端康成だった。
少女マンガの黎明期が男性漫画家で成立していたのと類似しているような。
代表作といわれる川端の『乙女の港』と『花日記』が、
実は中里恒子の代作だったという記述にはびっくりした。
でも、弟子が年季奉公で師匠に成り代わってというのは、
そんなに珍しいことではないけど。

補足

○元祖ガーリッシュ文学の白眉ともいえる太宰治の『女生徒』が、
ファンの女性から送られてきた日記に基づいたものであることは
猪瀬直樹の『ピカレスク』で知った。

『女生徒』は、
青空文庫で読める。その文体の妙、語りのうまさを愉しもう。

いまどきの文科系少女、腐女子系の文体で誰かパスティーシュしてくれないだろうか。



コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-27 14:55:56

待ち
夏はカーっと暑い方が、気分がよい。猫は一日中、グッタリしているが。
仕事はどうやら、待ちの状態。終わった仕事の資料の整理やら処分やら。
ぷらっと近くの温泉場にでも行きたいが、−湯河原、千倉あたり−
子どもは部活と夏季講習などで忙しい。
もう、一緒に出かけるのがイヤみたいで。
考えてみりゃ、その時分のぼくもそうだった。

『神は妄想である』リチャード・ドーキンス著と
『「少女の社会史」』今田絵里香著を読み出す。
この脈絡のなさ。ま、いつものことだけど。
後者は『文藝ガーリッシュ』の著者である
千野帽子のブログ0007 文藝檸檬
取り上げられており、読みたくなった。
ボーヴォワール女史にならえば
「人は少女に生まれるのではない、少女になるのだ」(少年も、はまるけど)。
いかに少女という概念が生まれ、それがいかに社会体制により概念が変遷していくのか。
「『少女の友』が創刊された1908(明治41)年から敗戦まで」の少女雑誌を分析している。

コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-25 16:53:27

多様性を残す
『デザインの生態学』後藤武・佐々木正人・深澤直人著の続き。

「デザインの過程には、多様性の中からひとつをピックアップして「もの」化する方法と、
多様性をそのまま残す方法の2種類がある」

「多様性を残すということはミニマリズムである。ミニマリズムとはシンプルなかたちの
静かなデザインの表現のことではない」

深澤直人の記述を適宜抜き書きしてみた。
こういうところからプロダクトデザインしているのか。
要するに深澤って侘び・寂びの人みたいだ。
だってプロダクトデザインに写生なんて取り上げているもの。

「近代のデザインは特定の機能を強く特徴化することに加担しすぎてきた」

「特徴化」もそうだけど、単なる付加価値、アドオンもあげられるだろう。
しかも本当に必要なものがプラスされているかどうか。
いまの万能ナイフのようなケータイ電話とかね。

住まいという箱もリビング、ダイニングなど仕切っていくことにより、
機能性が生じるが、果たしてそうなのだろうかと。
一応利便性はあるが、なんかセグメントされたことによる不自由さは否めないだろう。
ノンテリトリアルな住まいを一例として取り上げているが、面白い試みだと思う。
なんか家族で回遊、移動するみたいな。

「使う側にとってのデザインの存在感を消すこと、あるいは無意識の中にデザインをはめ込んで
しまうことが、多様性を残したデザインとなる」

この考えは、何もプロダクトデザインだけじゃなく、アートや芝居にも通じている。
作る側が100パー伝えるのではなく、適度に、七分程度に留めておいて
使う側(消費者、客)にゲタをあずけてしまう。

なじむ、自分に合っていく、あきることなく、カスタマイズしていく。
そんな余地のあるもの。
でもなあ「ミニマリズム」の持つ、省略の美学って、わかりづらいよな、一般大衆には。




コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-24 16:13:27

表面と表現
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朝イチで原稿を送る。あとはどの程度の修正が来るかだ。
週末に読んでいた『デザインの生態学』後藤武・佐々木正人・深澤直人著を読了。
副題が「新しいデザインの教科書」とあるように、高邁で奥深い。
教科書なので丁寧に脚注がついている。
いいんだけど、それが、時折、読む行為のジャマをしている。
レイアウトの問題かもしれないが。

引用2カ所。

「表面を修正して「囲い」を作る仕事を「建築」と言う。地面を修正してより平坦にしたり、
固くしたりして、その上を大量の人やものが移動できるようにすることを「土木」と言う。
食物の表面お修正して、口に入りやすい大きさや固さにしたり、熱を加えて表面の化学的性質
(味)を修正することを「料理」と言う。頭髪や顔面や身体部分の表面を修正して、そこにもと
あった性質を際立たせたり、目立たなくすることを「美容」と言う。土からできる表面を修正
してできた容器は「陶器」とよばれ、ケイ酸塩を溶解させて急速に冷やして新しくできた表面
をガラスとよぶ。私たちが「職業」とよぶことの多くは、長い時間をかけて表面の修正に習熟
することをもとにしている」

「誕生した時から、私たちはここにあげた三種の表面に囲まれている。周囲には未加工の表面、
修正された表面、表現された表面がある。私たちは三種の表面についての経験をつづけながら
成長する。やがて誰もが、表面そのものの性質と、表面を修正することと、表面に他の表面の
性質を刻み付けることに熟知する」(佐々木正人)

テクスチュアってことかな。違うか。
素材のまま、素材を生かす、素材と異なる素材を組み合わせる。
藝術の「藝」の意味である植えるってこともそうだし。

そう考えると、ものの見方が違ってみえてくる。



コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-23 16:35:52

オリンポスの果実
さて、子どもの夏休み。例によって苦手な読書感想文の宿題がある。
本人も「涼宮ハルヒじゃ、マジィ」ってのは自覚してるらしく、
瀬尾まい子あたりに落ち着きそうだ。

今の子は、洋楽もあまり聴かないが、外国文学も
『ハリー・ポッター』ぐらいなのだろうか。
トーマス・マンだのヘルマン・ヘッセは過去の遺物なのだろうか。
日本文学も、よしもとばなな、重松清あたりか。

そういえば、中学のとき、田中英光の『オリンポスの果実』を読んだことを
ふと思い出した。
元オリンピックのボート選手の一方的な恋心を回想形式で書いたもの。
読んだときは、あまり惹かれなかった。
作品よりも師であった太宰治の墓前で後追い自殺したという
その激しい生き方に興味を抱いた。

大人になってから仕事で再読することになった。
勤めていた会社に偶然、著者の孫がいて、そのルートで
BSへ売り込むスペシャル番組の企画書をつくることになったからだ。
図書館にあった作品に目を通したが、やはり『オリンポスの果実』がヌケがいい。
『バタ足金魚』の先がけ的作品でストーカーチックな片思いの妄想リビドーが、
みずみずしい文体で書かれている。
作者は偉丈夫でなかなか死に切れなかったそうだ。
頑健な体躯とガラスのような精神力。
アンバランスさ、脆さが、欠点でもあり、魅力でもある。
図書館で借りた古い本に掲出されていたポートレートが、
孫娘によく似ていた。

調べてみたら、文庫にもなくて、青空文庫で読める。

オリンポスの果実

コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-22 16:47:50

気なるCM
サントリーの「金麦」のTVCMが気になる。

http://www.youtube.com/watch?v=iF8nbESwjbk

たぶん専業主婦らしい檀れいが「金麦と待ってる?」って
ドアップでカメラ越しに語りかけてくるんだけど、
そういわれてうれしいか、いまどきの夫(男性)は。
待たなくていいから、きっちり、フルタイム働いて
稼ぎの悪いオレを助けてくれよって、ぼくなら思う。
メシもそれこそ金麦も帰りにコンビニで買うから。
きみの方が遅いんだったら、
深夜まで空いてるスーパーで特売の卵と低脂肪牛乳と
おにぎりでも買っておこうかって、メールしたりして。
あ、檀れいは魅力的な正統派の女優です。
元宝塚の先輩、黒木瞳もそろそろ、彼女に道を譲ればいいと思うほど。

ついでに。
昔、タバコのTVCMがオンエアされていたとき、
女性がタバコを吸うのはもちろん、持つのもNGだった。
妊娠時の女性を考慮してのことらしかったが。
なのに、酒類は、おおっぴらに、女性タレントがグビグビやっている。
あれだって本来NGだと思うのだが。


コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-21 16:19:59

終業式
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昨日、ケータイに元同僚から連絡が入る。
彼は広告代理店勤務だったのだが、ついに退社するとのこと。
10年前に会った時もフリーになると言っていた。
用件は、絵画に強いライターを探している旨。
絵画の紹介本の原稿を書く仕事。で、彼も旧知の元同僚を紹介する。
こんなケモノ道で仕事が広がったり、新規をいただいたりする。
もちろん、紹介者の顔をつぶさないよう懸命に励むけど。
50歳過ぎると、広告会社では、もうお払い箱という話を聞いたけど、
あくまでも個人差、個体差だと思う。
こちとら、まだ、そこそこ、イケてますので、そこんとこよろしく。

昨日で通いの仕事はあっけなく終了。なんで、終業式。
あとは、うまくすると半年後に、お声がかかる。
通勤本は『たいくつな話/浮気な女』チェーホフ著と
『不況のメカニズム』小野善康著。
後者は、ワイアードビジョンで、小島寛之が絶賛していた。
第4回 『不況のメカニズム』は、いかにすごい本か
読み始めると、やはり、難しいとこは難しいが、なるほどと思うとこも多々ある。
ケインズの『不況のメカニズム』で、歳出カット、緊縮財政が
是とされる小さな政府の「経済政策」を読み解くという試み。
たとえば

「公共事業で価値のない物を作るなら、失業させたまま失業手当を払うのと同一であることを
論証した」
「乗数効果は働かない」

どうだろう。生き金と死に金があるけど、こちらは死に金で、
どう生き金にさせるかってことなのではないだろうか。
単なる歳出カットでは、短期的には数字もいいように見えるが、
その場しのぎで10年も経たないうちにそのツケが回ってくる。


コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-20 16:49:17

記号
なんだか、出先から戻ってくると、エネルギーがエンプティで
ブログを更新する気にもなれない、ここ数日来。

とかいいつつ『記号と事件』ジル・ドゥルーズを読む。
(書影は文庫だけど読んだのは単行本のほう)
対話集と銘打たれているので、読みやすい。
作者の文章は、文学的甘き香りをぼくは感じるので、
内容の理解はさておき、読み進むことが、さほど苦ではなかった。
この本を読んでから、『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』に
むかえば、玉砕せずにすむかも。
それとフーコーの『性の歴史』三部作への言及も、読みが深くて、
いろいろと示唆を受ける。

この標題は、訳者がテキストから引用したものだそうで、ナーイス!
そのあたりを引用。

「記号は生の様態や生存の可能性を表示している。だから記号は、沸き起こる
ように活発な生命や、枯渇した生命を示す症候となるのです」

「創造とは、伝達することだなく、耐久力をもつことです」

「記号と<事件>と生命と生気論のあいだには、深い関係がある。
−略−死んでいくのは有機体のほうであった、生命は死ぬことがない。
生命に出口を教えないような、そして敷石と敷石のあいだの隙間に一本の
道を穿ってくれないような作品など存在しないのです」

ドゥルーズのいう<事件>は、いわゆる事件じゃなくて日常性ってこと。

訳者あとがきを読むと、対談なんだけど、
著者校の段階でかなり手を加えたようだ。
でも、なべて、話し言葉から書き言葉になったほうが、
やわらかく、やさしく、とっつきやすい。
いっそのこと、あの世からヘーゲルを呼び出して
長谷川宏と対談させて、そのテキストが、読みてえ。


コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-18 17:04:53

花の歌
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昨日は台風接近のさなか、子どものピアノ教室のファミリーコンサートがあり、
渋谷の音楽スタジオへ。発表会は、これで3回目か。
最初は妻の姉夫婦、2回目は母を招いた。
子どもの通うピアノ教室は、熱心な指導で、なかなか厳しいようだ。
それがアダとなって、それとPRなどが上手じゃないらしく、
つーか、ビジネスよりも音楽、芸術に軸足があるみたいで、生徒が増えないらしい。

ただし、こいうイベントは、シゲキになり、いつもは練習しないのに、
直前になると、懸命に練習に励んでいた。
発熱して応急処置で解熱の座薬をつっこまれながらも。
ランゲの「幸福」と「花の歌」、連弾で
ヨハン・シュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を披露した。
ヨハン・シュトラウスは好きなのだが、ピアノで弾くのにはややムリがあるかも。
ミスタッチは多少あったものの、なんとか、こなした。
ま、スタンウェイのピアノを弾けただけでも、ラッキーだろう。

合間に『コンサルタントの「現場力」』野口吉昭著を読む。
コンサルって、どうも好きくないのだが、この作者の著作は、納得でき、楽しく、参考になる。
「仕組む力と仕掛ける力」は、いいフレーズだ。
企画、取材、論理構築、企画書作成、効果的なプレゼンテーションなど、
コンサルタントでなくても、役に立つ。

コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-15 16:10:29

どうにもこうにも
久しぶりに週に半分、通いの仕事をしていると、
勤め人体質に戻ってしまう。
ま、これはこれで嫌いではないのだが、
やはり家でゆるゆると仕事をする方が、気分的にらくチンなわけで。
一昨日受けた分が、ぼくのカン違いで、ラフではなく32P分全文ほしいとのこと。
締め切りをムリいって延ばしてもらう。

今週の移動本は『年金問題の正しい考え方』盛山和夫著。
この本も、疑問氷解本。
新聞じゃわからなかった、見えなかった部分を丁寧に教えてくれる。
たとえば、ぼくは消費税など税を年金の財源の一部にすればいいと思っていたけど、
そうすると、低所得者や高齢者にまで負担が増えることになり、
うまくいかないと作者は述べている。
いままで読んだとこでは、ともかく日本政府が潰れない限りは、
年金は個人で同額を積み立て預金するよりも、原則、おトクだ。だから入ろうと。
どうもマスコミや野党にあおられていたのかもしれない。
確かに、社保庁のグータラぶりもあるけどな。
年金祭りと化した参院選だけど、
年金支払いの証拠がない時は、最終的に人柄で判断するそうだから、
いっそのこと、逆徳政令でみんなに払ってやればいい。
大盤振る舞いだ。それが票に結びつくかどうかは知らないが。


コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-12 17:34:22

うるわしき日々
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『うるわしき日々』小島信夫著読了。
1日中、この本を読んでいて、とても温かな心持ちでいられた。

といっても、別段、ハッピーな内容ではない。
老いた作家が、身体に障害を持った子どもが中年になって、
アルコール依存症からさらに症状が重くなる。
買ってあげた家や子どもの親権は別れた妻の元へ。
老親が介護しなければならない。
また、後添えの妻も痴呆症が発症しかけているという。
きわめて深刻な状況下にありながら、
作者は、苛立ちもせず、逃げもせず、対処する。

見晴らしのよい斜面に建築家にモダンなデザインの家を依頼する。
雨漏りや、はめごろしの開放感の高い窓なので夏場の灼熱地獄にも
よしずばりでしのぐなど、
ありのままに受け止め、ありのままに小説にしていく。
その無為自然的な文章に、魅せられ、ある種、癒される。
生きてきたことの豊かな年輪と精神のしなやかさ。
document、フランス語だったらdocumanか。
日録なんだけど、それがそのまま優れた小説になってしまう。
a documentary film、記録映画のような味わい。
で、これもまた『うるわしき日々』哉となってしまう。

先日のエントリーで下記の一文を引用した。

「作家にとって必要なのは問題の正しい「提示」であって「解決」ではない。
これが世に言うチェーホフの「客観主義文学論」の核心である」

まさに、この本は「問題の正しい「提示」であって「解決」ではない。」
ことを示しているものだと思う。

実際、老親よりも先に逝く50代の子どもがぼくの近辺では、結構、多い。
ガンとかで。
戦争を体験した日本人は粗食に耐えたから丈夫なのだろうか。
平均年齢もこれから下がる一方だろう。余談だけど。

当世風に「鈍感力」といってしまっては、小島信夫ファンから
叱責されるかもしれない。



コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-08 14:22:04

中心は偏在している
お中元をネットで送る。デパートやスーパーの特設中元コーナーのように
待つこともなく、イライラすることもなく、ラクチンゆえ。

『チェーホフ』浦雅春著の続き。

「1890年30歳のとき」サハリンへ行く。当時のサハリンは流刑地で、
そこで作風が変わるほどのカルチャーショックを受ける。

「チェーホフはサハリンでモスクワ以外にもう一つの中心があることを
発見した。中心は一つではない。−略−「中心の喪失である」−略−
それは裏を返せば「中心の偏在」だ。−略−世界はたった一つの中心に
よって意味づけられるものではないのだ」

多元的価値観ってことになるかもしれないし、
昨今の小東京化する地方都市の在りようや
均一化してしまう(されてしまう)ことのつまらなさ、おそろしさだってある。
でも、その中にもそれぞれ中心はあるのだ。

あと、この一文が気になった。

「作家にとって必要なのは問題の正しい「提示」であって「解決」ではない。
これが世に言うチェーホフの「客観主義文学論」の核心である」

ここはもう少し反芻してみないと。

「チェーホフのネタ帖」というものがあることを知る。
「自分が幽霊だと思って気が狂った人。夜更けになると歩きまわる」など、
かなりブラックなものがある。
ツービート時代のビートたけしのネタを彷彿とさせる。
これはぜひ読んでみたい。図書館にあるチェーホフ全集に
納められてあるだろうか。

ねじれた笑いで人間の厄介な本質を暴くには、
ネコのような覚めた眼が必要なのだろう。
ともかく文学や演劇で言葉や意味などを、解体してしまった行為や企ては、
古びることなく、現前している。

コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-06 19:52:07

父と息子
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『チェーホフ』浦雅春著をつらつら読む。
チェーホフの作品に父親の存在が薄いのは、
幼少時代、実父がワンマンで厳しかったからだそうだ。
アダルトチルドレンで括ってしまうと、
40代以上の日本の男性はみなそうなってしまうおそれがあるので、決めつけはしない。
父親の商売も左前となり、兄弟の中で最も社会性のあったチェーホフは、
医学生のかたわら生活費のために、ペンネームで小説を書き飛ばす。
当初は、医者になって家族を養うことを考えていたそうだ。
ゆえに、ペンネームを使用していた。

この本によると、チェーホフは自分の感情を出さない人で、
多彩な作品もまるっきりのフィクションだったと。
でも、そうはいっても、創作には、作者の感情が不可欠で、
この先、作品を読み、年譜や時代背景を照合すれば、
本音はあぶり出されるのではないだろうか。
(あ、ぼくがやるとはいってません)

作者はここで父親殺しの説を取り上げる。
フロイトのエディプスコンプレックスの語源となったオイディプス王にはじまり、
『巨人の星』から『エヴァンゲリオン』まで、
父と息子の葛藤は永遠不滅のテーマだったが、
どうも最近の父親は母親化してしまって、テーマになりづらいかも。
劣化したオヤジ壁が、逆に、我が息子の将来を勝手に悲観して巻き添え殺人が
多い気がしてならない。あくまで、主観。
ぼくは旧世代の人間なんで、父と息子の葛藤はあった。
冷戦状態が今も継続している。

はしがきを引用。
「チェーホフの作品は「大きな物語」が崩れ去り、単一の意味をもてなくなった現代の姿を
一世紀前にも予示していた。「中心」を喪失し、「大きな物語」が崩壊した世界を
ありあわせの思想やイデオロギーで取り繕うのではなく、チェーホフはその解体していく
世界を冷徹にながめる眼と、あるかなきかの希望の声を聞き取る鋭い耳をもっていた」
ありゃりゃ、東浩紀著の『ゲーム的リアリズムの誕生』あたりと、なんだかもろかぶり。

「世界を冷徹にながめる眼」というのは、医学生、医師の眼なのか。
それとも生まれついてのものなのか。


コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-04 16:52:51

ちょいワル文学
午前中、まとめ作業。追加分もなんとなくアップする。

『ある島の可能性』ミシェル・ウエルベックを半分まで読む。
いつもながらのちょいワル、エロぶりが、ぼく好みで妄想もふくらむ。
前に刊行された『素粒子』、『プラットフォーム』を読むと、
どことなく村上龍っぽいなと思ったんだけど、この本を読むと村上春樹に似ている。
村上春樹の小説が、文学のデファクトスタンダードってことになるにかな。異議なーし。
猥雑さと静謐さが入り混じって、
優れた頭脳と元気な(同世代比較)男性自身を持ち合わせた
50歳手前のインテリ男の悪ぶったモノローグが、
はまる人には、えらくはまるだろう。
SF風味なんだけど、ボリス・ヴィアンやセリーヌをイメージさせる。

今週の移動用本は『チェーホフ』浦雅春著。
チェーホフの遺体が、夏のため「損傷をおそれた当局が「牡蠣用」冷蔵車輌で」
運搬されたエピソードを読み、「できすぎちゃうんか」と、ツッコミを入れる。


コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-02 17:04:59

しょうがない
それでは、某防衛大臣作詞、「核が空から降れば」、
聴いてください。

♪〜核が空から降れば
ヒトカゲは地面にしみこむ
核がシトシト降れば
オモイデはシトシトにじむ
黒いコーモリ傘を指して 街を歩けば
あの街はピカの中
この街もピカの中
電信柱もポストも
フルサトもピカの中
しょうがない アメリカにはしょうがない
公園のベンチでひとり おさかなをつれば
おさかなもまた ピカの中
しょうがない アメリカにはしょうがない
しょうがない アメリカにはしょうがない
しょうがない アメリカにはしょうがない〜♪

ありがとう。では、最後の曲です。
「自衛隊に入ろう」です。よろしく。


コメント(0)| Track back(0) | 2007-07-01 16:33:59