『「フクシマ論」』開沼博著の感想メモ。
そもそもは福島県浜通りで生まれ育った作者の修士論文だったそうだが、
ひねくりまわしたジャーゴンだらけのいわゆる論文スタイルではない書き方、物言いに
共感を覚えた。読み出してすぐ、やるじゃんと感心するところもある。
3.11と偶然にもリンクしてしまい、セールスにもプラス効果があったとは思う。
でなければ、ぼくも手にすることはなかったかもしれない。
副題である「原子力ムラはなぜ生まれたのか」。
貧しい村に「原子力ムラ」を形成したのは、
「中央」(国と電力会社)の思惑と「地方」(県と村)の思惑が一致したからなのだが、
作者は「原子力ムラ」をフィールドワークしたり、インタビューを試みる。
「中央」と「地方」の関係を「内的なコロナイゼーション」という。
植民地化。それをもう少し時間軸を拡大してみる。
浜通りにフォーカスしてみれば、石炭(常磐炭鉱)*があった。
そして明治以降の国の政策の一環上に「原子力ムラ」があることがわかる。
「原子力ムラ」で地元の人々が従事して原発でこさえた電力を都会へ送る。
その見返りに中央は、補助金やら、雇用やら、Jビレッジやらを供与する。
ま、「出稼ぎしなくてすむようになった」、
「新しい店ができ、村に活気が出た」「村の財政も豊かになった」など。
「戦後成長」に取り残されたくなかった。だから、
貧しい村、地方に地域利権、地域利益誘導するには、
多少のリスクには目をつぶるしかなかったのか。
だが、それは圧倒的な不均衡、不公平ではないのだろうか。
「だども、そんなこと、してもしょーがなかっぺよ」と地元民は思うだろう。
「ないとおまんま、食い上げになるし」とも。
3.11以前はそうだったろう。だが、いまはどうだ。
蹂躙というかそれこそ犯されたまま
泣き寝入り状態のままでいいのかという気もする。
覚えている。郡山市といわき市が新産業都市に指定されたときのことを。
小学生だったが、何か誇らしいものを感じていたが、
この本を読むと、それとて言いなりになっている「地方」への「中央」からの
ご褒美だったようだ。
読んでいて「中央」と「地方」の関係は信田さよ子の著作で知った
「共依存」にも似てるなと思ったら、あとで作者は信田のことにも触れていた。
あとは、回復が望めないのに「胃瘻(いろう)」でただ延命処置をされている
老人にも似ているとふと思った。
この本は、武田徹いうところの
「社会の深層に潜む「見えないメカニズム」の可視化」を
見事に具現化したものだ。
複雑な心持ちのまま、まとまらず、了とする。
よく「東北のチベット」とか表現される。正しくは表現された。かもしれないが。
原発銀座は、かつて「福島のチベット」と呼ばれていたそうだが、
チベットに対して失礼じゃなかろうか。
*常磐湯本温泉(いまはいわき湯本温泉というのか)など掘れば温泉が出る地域で、
炭鉱操業時には頭痛のタネだったが、この厄介な豊富な温泉が、
後の常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)となる。
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結構笑えて、意外と深いです。
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